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はだかの緊急事態宣言、敵は無し

「緊急事態1」に、日本の世論は麻痺している。
この麻痺が、いつしかボケに転じるのではないかと、私は案じている。
なぜなら、今般の「緊急事態宣言」が高らかに平時を宣言するものだったからだ。

新型コロナウイルス感染症が非常の難局であることは、誰の目にも疑いようがない。
罹患しあるいは命を落とした者や、生業や生活が一変した者についての報道を見聞するにつけ、医療や防疫に文字通り身を賭して従事するプロフェッショナルの苦心を慮るにつけ、これを緊急事態と呼称しても、通常は何ら不自然ない。

ともあれ、今般の緊急事態宣言は、国家緊急権の発動を伴う緊急事態を宣言するものではなかった2。多くの国民にとっての今般の緊急事態宣言の本旨を敢えて表現すれば、統治者が、緊急の事態であることを人民に宣伝し、人民の自発的な監視を喚起することで、特定の経済活動を停止させることにある。衆参両議院において延べ9割超の議席を占める諸会派が翼賛した法を添えるのみならず、主な首長や利益団体の「圧力」や「容認」3を待って、内閣総理大臣が記者の前で発表するという、念入りな「『空気』の支配」の形をとったのだった。4

余談だが、新型コロナウイルス感染症に対する施策としての空気の支配は、目下その成否を是非できない。剥き出しの強制には叛骨精神を発揮するのが、人間の性である。日本における支配者は、慇懃な謙譲によって名君の名を得たり、空気の支配によって相互を監視せしめたりといった施策によって、人心を巧みに掌握してきた。この観点から、今回の政府は極めて穏当かつ伝統的な選択肢を採ったと言える。あるいは、零細の経済活動の維持の観点に立つとき、局所的な裁量を残し得る空気の支配は妙手なのかもしれない。一方で、中国や欧米各国のような都市封鎖の方が、早期に収束を実現する可能性もある。この判定は、防疫の観点のみならず、例えば経済や文化の背景や影響など、多角的な視点から歴史的に行われるべきものである。

巷説は諸々あれ、先人が150年に亘って積み重ねてきた緻密な官僚的統治体制を崩さぬ限りにおいて、政府は最大限に近い努力をしたと評価して良いだろう。

授権的な国家緊急権の発動に依らぬまま初度の対応を遂行できた理由は、ウイルスが、数時間から数日のうちに列島を席巻し、悪意を以て国家体制を脅かすような敵でなかったことにある。
私が危惧するのは、国家体制を脅かす悪意のある敵が、成文法に基づく対応が困難となる、または自衛隊警察が予測しなかった策を以て、行政の情報処理が追いつかない速度、または感知できない様相で、我々の社会に侵攻してきたときにおいても、なお統治者は既存の建制による対処を試みなお人民は空気に支配されることを望むのではないか、ということである。敵に対峙する日本国政府への国民の支持が共同体日本を保護するためという確固たる意志5に発するものでないとき、強権的かつ迅速な国家緊急権発動の足場が泥濘んでいるので、政府は空気の支配に終始するだろう。それを国家が成し得る最大限の措置と信じたまま。
アンデルセンの童話において、「バカには見えない召物をまとった」王様は、ある子供の無邪気な一言によって、裸であることを公然にされた。同様に、いわゆる「緊急事態宣言」は、水を差されると空気を支配できなくなる。五人組や隣組すら困難であろう令和の日本人には、神風は起こせない。錦の御旗に倣えれば御の字だが、敵が往々にして空気の支配の外に在ることも忘れてはならない。
その秋は、天智天皇や織田信長のような勇ある者の時代なのだろう。尤も、文化の爛熟に専念できる太平の世こそ永かれと願うが。

王様が裸であることを指摘されても動じないような方々に向けて、筆を執りました。不急の記事ですので、数年、数十年後に、心ある方の目に止れば幸いです。
念のため申し上げておくと、目下の政策を是非する檄文ではありません。新型コロナウイルス感染症に関して私ができるのは、経済を少しでも上向きにするべく目前の業務に専念するのみです。今はリモートで。

註釈

  1. 現時点では、この「緊急事態」を「非常事態」と換言しても、語感または字義上の差異が発生するのみで、同値と見做して差し支えない。例えば、世界保健機関が新型コロナウイルス感染症を「国際的に懸念される公衆の保険上の緊急事態」の一に認定したが、この英文表記である ”Public Health Emergency of International Concern” の ”Emergency” は「非常」と邦訳し得るものである。
  2. 新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく今般の緊急事態宣言は、緊急事態の要件や国会への報告事項に注目すると、国家緊急権の要件とされる事項的限界や地域的限定、有効期間の限定、議会の尊重などを備えている。また、外出自粛要請および興行場、催物等の制限等の要請・指示を除く緊急事態措置は、平常の立憲主義的な秩序を一時的に停止するものと言えるので、国家緊急権的と認知されることもあろう。しかし、権力の集中と基本的人権の停止を予定するものではないため、国家緊急権の発動を宣言するものとは言いがたい。
  3. 3月23日の東京都知事の小池百合子の発言「事態の今後の推移によりましては、都市の封鎖、いわゆるロックダウンなど、強力な措置をとらざるを得ない状況が出てくる可能性があります。そのことを何としても避けなければならない。」は、法令上不可能である都市封鎖に敢えて言及するものだった。
    3月30日の日本医師会常任理事の釜萢敏の発言「(緊急事態宣言は)かなり発出をしていただいても良い状況ではないか」や、3月31日「緊急事態宣言は出すべきか」という記者の質問に対する経済同友会代表幹事の櫻田謙悟の回答「個人的な見解としては、ロックダウンというのはたしかに慎重に検討しなければいけないかもしれませんけども、私は、ダラダラと続けるのであれば一気に、緊急(中略)入院して早く回復させることが大事だと思っています」など、3月末から4月上旬には、緊急事態宣言の発出を期待する声が多く見られるようになった。
  4. 山本七平が『「空気」の研究』で使用した用語に拠る。
    しかし、政府が空気の支配を勘案して発出の時期を決定したことに対する確証がない点に、留意が必要である。また、4月6日に毎日新聞の竹地広憲の記事によると、政府は経済対策の策定後に「緊急事態宣言」を発出する意図があったという。なお、丸括弧内は筆者の註記である。

    (4月6日の自民党)役員会の冒頭で首相が切り出したのは、緊急事態宣言ではなく「史上最大となる108兆円の緊急経済対策」のアピールだった。自民党関係者は「経済対策がまとまったから、宣言を出すということだ」と指摘した。政権がこだわったのは、経済対策の取りまとめとセットにした緊急事態宣言の発令──との解説で、首相周辺は「ただ宣言すればいいのではなく、ちゃんとした経済対策を練り上げる時間が必要だった」と打ち明ける。

    一方で、同記事末尾には、首長などからの要求によって空気が醸成された様相についても記されている。

    東京都の小池百合子知事や大阪府の吉村洋文知事らが発令を要求。政権への批判も高まった。そうした中で東京都では4日と5日に2日連続で1日当たりの感染者数が100人を超え、専門家の間でも「医療崩壊」への危機感が広がった。野党も発令を求める声を強め、「外堀」を埋められた首相は発令へかじを切った。

  5. この「確固たる意志」が近代の創作物である「愛国心」であるという指摘は、正しいが、これを否定する論拠とはならない。少なくとも令和の日本人は、近代国家という物語によって社会を秩序立てているのだから、近代国家に代わる有効な物語を提示しない限り、愛国心を否定し得ないのである。無論、愛国心の様相は多種多様であるから、これを論う必要があるが、本記事においては割愛する。
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