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成熟の政治

候補者公募の応募論文として認めた文章です。結果として、私の政治活動の原点となりました。私の思いが政界においても理解を得られたことに、希望を感じています。

今の政治には、百年後の物語を示す力が欠けている。

国家とは、「ここに住みたい」という人々の願いを実現するための装置である。従って、理想的な統治者の役割の一つに、私達と子孫との生活を充足させるために、独立的な判断ができる状態を保ちつつ、他の国家や自然との共存を維持するという、二律背反の総合がある。しかし、日本国の政治は、この統治の本義から離れている。矮小な国家観を持つ者が、既得権益の有力者の支援と利己的な大衆の支持とにかまけ、姑息な論議に終始している。この原因の根本には、精神の成熟を阻み、無能な政治家を担ぐ構造にある。いまや政治家は、官僚とメディアとに担がれている御輿に過ぎないが、官僚は米国に阿り、形式主義とセクショナリズムの弊に陥り、マスメディアは呼応してお上への甘えの空気を充溢させている。一権を担う裁判官ですら、公平の精神を貫徹するより、裁判所の全体主義的な統制の下、既存体制への安住を優先している。結果として、形式的な民主主義の下、安全保障や経済における米国の介入を許す自民党と、これに踊らされる野党、そして自分の所属する集団さえ良ければ可とする大衆が生まれた。現在の日本は、黒船や娘を売る貧農といった明らかな不正義こそないが、自主性、他者との共存性、持続性の均衡に欠く状態であり、国民国家が溶解する趨勢において日本語文化圏断絶への危機感を抱かなかった世代として、後世からの批判を免れないだろう。

近代国家は、統治の実効性を担保する手段として、通貨発行権や暴力を独占する。しかし、この剥き出しの権力には反発が伴う。さらに官僚制は自己目的化して増幅し、眼目であるはずの生活を毀損しかねない。統治を円滑にし、また生活に寄り添わせるために、三権分立や国民国家、民主主義といった物語が生み出された。今の日本に、権力と権利との均衡を保つ物語や、国民を同胞と見做して積極的な救いの手を差し伸べられるような共同幻想は、生きていない。既得権益にぶら下がり、反骨よりも従順を指向する空気が瀰漫するのみである。政治家や官僚の事なかれ主義、米国への蒙昧な追従、姑息な改革、弥縫策も宜なるかな。この時運の趨くところ、空気に流されていくのみの精神を一掃し、自主性、他者との共存性、持続性を同時に担保する価値観を長期的に共有させるには、制度改革の前に、共同幻想が必要である。私は、国民国家の維持と権力の監視とを両立させる際に、地域に根ざした文化的な生活を指向する人々の願いが、新しい物語の鍵となると考える。そして、中央政府に対して生活に拘る規律の地方分権を要求し、地域政府に対して当事者性と直接民主制の度合いを強めた政治を実行することで、地域と人との運命的な結合を演出し、家族や友人を超えた同胞意識を醸成し、制度への過度な依存を廃す。外交と内政とを分離した上で、地域自治への参画感を高め、お上依存とマレビト信仰とを自治の場から一掃する。これによって、公への関心が深まり、国民国家の賞味期限が延長されるのみならず、日本語文化圏が千年後も継続する礎となるのだ。

この理想は、制度改革を提起する者に加え、人々や集団の利害の調整に留まらない、相互理解のための橋渡し役が必要である。そして彼らは、強い目的意識と優れたバランス感覚とを持し、高邁に身を置かねばならない。なぜなら、彼が久しく深淵を見入るとき、深淵もまた彼を見入るからである。

私は、改革者かつ橋渡し役として生きる決意をした。そして、日本の百年後の物語を描くためには、政治家として地方分権や官僚制度改革を推進し、外交方針を監視し、安全保障を担うことが必要であると認識した。目的意識とバランス感覚によって怪物と戦い、アデナウアーやミッテランのように後世から感謝される働きをしたい。その際、自身の政策に掛る透明性を保ち、誠実にことを成し、目的に邁進してゆきたい。

One Comment

  1. 橋本幹彦 橋本幹彦

    Utoka氏から『感想文』をいただきました。
    文化政策学あるいは民俗学的に丁寧に解説いただき、接線の一として知的好奇心をそそられるものですので、併せてご覧いただくと楽しいかと存じます。
    https://note.com/utoka/n/n2b3180b54d9a

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