Skip to content

転職の理由

九月十六日を以て、官職を退いた。防衛省自衛隊は、私自身にとっては大変に得がたい経験を積み、公に対しては細やかながら意義ある務めを果たすことができる、自由で希望に満ちた場だった。しかし私は、官を退き、草莽に身を投ず決断を下した。これは、自衛隊に対する不満による退職でも、特別の契機に促される転職でもない。これは、生き方の問題であり、人生の目的に対する手段の選択なのだ。 

私が防衛大学校を選んだのは、現場指揮官に憧れたからだ。官僚の道に絶望しつつも、なお公共への奉仕に携わりたいと思った高校三年生の私は、最前線における裁量を求めて士官を志した。 

五年と六月を経て逢着したのは、軍事目標を合理的手法で達成しようとするプロフェッショナルではなく、武士の心を官僚的手法で得たいと思っているサラリーマンであった。その姿は、本質的に先の敗戦を招来した日本軍人と何ら変わらない。そして、私のなりたい三十代とは言えない。 

この姿は、私の尊敬する何人かの自衛官の先輩方が、人生を捧げても変えられなかったものだ。あまつさえ、六十五年間に渡って、国民は「自衛官が『制服を着た市民』なのか」という哲学的な疑問を持つことがなかったし、政治家は敢えて「自衛隊は違憲か合憲か」という問いから離れることをしなかった。国民は望まず、政治家は期待せず、隊員は公務員のロジックで雁字搦めの状況の中では、たとえ私が統合幕僚長になっても変えられないだろう。組織の内部から改めることは、泥沼に踊るようなものだ。 

俸給を得て官製教育を受けた者が早期に退職するのは、納税者へのある意味での道義的責任を果たしていないという批判もあろう。今日明日の日本国の防衛の観点からは、この批判は妥当であり、私は逃れたいとも思わない。誠に面目ない。 

一方、私の行動原理は、日本という共同体に対する中長期の義務にある。国防から身を引いたが、安全保障への責務は民間人であっても当然に負うものであるし、ましてや私は日本を文化国家として百年後に引き継ごうと思っている。 

思うに、社会全体への奉仕は、官の権限に頼らずとも存分に成し得るという観点が、高校生の時分には足りなかった。公務員は、法律に縛られ、前例に囚われ、国民の無理解に悩まされ、真に公共のための働きをできないこともある。むしろ在野の方が、意思決定の迅速性と手段の多様性の点から、理想を実現しやすいこともある。 

明日から、民間企業に就職する。何を成すか。何を思うか。戦いが、また始まる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.